「永代供養」という言葉について
こんにちは。おはか広場です。
朝から気持ちの良いお天気でしたね。
お昼から薄黒い雲が空一面を覆いましたが、
なんとかお天気は持ってくれました。(^^♪
感謝です。
今日のお題!
そう!永代供養!
永代供養のことなんです。
「お墓は要らない」
「持ってもお参りしない」
だから永代供養。
というお話を簡単にされる方々が増えてきていますね。
ところで、みなさまは、永代供養についてどんな風に考えていますか?
もちろん、私はお寺さまでもありませんし、
立派な宗教家の人達みたいに宗教論や供養について難しく語るつもりはありませんが、
とても便利で恐い言葉だなぁと思っています。
ご来店いただいたお客様に言われたことがあります。
「人間の価値は死んでからわかるものだ」と・・・
自分はわからないのです。
残されたものが感じ、気づき、理解することだというのです。
思い出したようにでもかまわない。思い出してくれたとき、
こんな人だったんだ。
こんなことを考えて、こんなことをやっていたんだ。
この人が私には必要だったんだと。
価値は、
そのときにわかるものだと。
そして、感謝し、敬い、思いを大切にする。
それが供養なんだと。
だから、
他人や、その人のことをまったく知らない人が、
他人を思い出したり思い浮かべたりすることなんかできない。
自分しかわからない。
また、家族や先祖であっても、永遠に思い続けることなんか出来ない。
生きている間に、大切な人たちのことを思い出すことは、
せいぜい顔を知ってる、お爺さんかお婆さんくらいまでですよ。
でも、それは、
みんな当たり前のことで、
だからこそ、その時代を、その世代を生きている人達が、
自分の家族や大切な人を想う。
その人達を供養する。
便利だとわかっていても、他人にまかせてはいけない。
出来る限りの努力はするものですよ。
だから、私はお墓を参りをするんです。
そうやってつながっていく。
それでいいんですよ。」
永代供養。
ずっと私たちを供養してもらえる。
永代に・・・
とても、すごいことで、
とてもすばらしいシステムだし、すごく価値のあるものだと思います。
今の時代は、
すごく便利になり、短縮、省略、効率化と、なんでもかんでも縮小する傾向にあります。
供養についてもそうです。
火葬場から直葬。お墓要らず。
永代供養が流行る原因のひとつでもあるでしょう。
子供がいない人達、後継ぎのいない人達、一人で生きてきた人達、
いろんな人達がいるんだから、
お寺で供養してもらえる。
ありがたいことですし、仕方のないことです。
だから、いろんな供養の方法があっていいと思います。
だけど、供養の丸投げは良くない。
私も、お墓に関わるお仕事をさせていただき、
永代供養をされる多くの方々とお会いさせていただきます。
どの方も、さまざまなご事情で永代供養を取り入れておられます。
ただ、
便利だからという理由で、
子供さんに迷惑かけたくないという理由だけではなく、
永代供養をされる方には、ちゃんとお話しをさせていただきます。
ご夫婦であれば、パートナーのお気持ち
子供さんのお気持ち
ご兄弟のお気持ち
たくさんの人達のお気持ちがそこにはあります。
私たちが生きている間、思いを続けられる間は、
出来るかぎり、
家族のこと、大切な人のこと、お世話になった人のこと、
自分という人間をつくってくれた人達のことを
精一杯思い出して、
自分たちで供養させていただく。
できる限りのことで構わない。
自分たちで供養する。
お墓でも、納骨堂でも、小さくても、どんなものであっても、
自分たちで供養する。
そしてそこで、
その場所で、
良いことも悪いことも報告をしてあげてください。
感謝の気持ちを伝えてあげてください。
そうお伝えしています。
私は、それが、一番価値のある供養だと思っています。
お客様の言葉を借りて言うと、
他人が、思い出したり思い浮かべたりすることなんかできないんだから。
大切なその人の価値は、あなたしかわからないのだから。
おはか広場